昨夏の甲子園大会で準優勝だった関東第一は、26日の東東京大会準決勝で実践学園と対戦する。
米沢貴光監督は、教え子たちに「高校野球って、仲間とやっているんだぞ」と呼びかける。「ライバルも仲間だ」と説く。
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高校時代は「最後の打者」
その原点は、同じ東東京で一緒に戦ってきた名門・帝京の存在があった。
高校野球は、悔しい経験を得ることで自らを成長させてくれる場だと思っています。
私は高校生だった現役時代、最後の打者として3年の夏を終えました。
1993年の東東京大会の決勝。相手は同学年の高橋尚成(元メッツなど)がエースだった修徳でした。4点差から、関東第一が1点差まで迫ったところで、私に打席が回ってきました。
第1打席は高橋の変化球に対応して適時打を打てたんです。それを分かっていたのか、最後は全て直球勝負。自分はそこで受け身になってしまった。粘ってはいたんですが、見逃し三振。最後の夏が終わりました。
それまでの試合では、自分が同点打を打って延長戦を勝った試合もありました。そのときと決勝では、差があったんです。「よし、打ってやろう」という気持ちはなく、「なんとかつなごう」と。違う方向の重圧を抱えていました。
この経験が転機になりました。野球人生の中で、甲子園に行けなかったことがとても悔しくて、当時の小倉全由監督に「将来は高校野球の指導者になりたいです」と伝えたんです。小倉さんが相談に乗ってくれたこともあり、2000年に監督としてのキャリアが始まりました。
監督になりたてのころ、帝京の存在がとても大きかった。目標は「打倒帝京」。中でも、07年の夏は印象的でした。東東京大会の準決勝で、帝京とぶつかりました。
神宮球場に土砂降りの雨が降…